太宰府 梅園菓子処 - 太宰府天満宮御用達の和菓子

大切にしてきたこと


 

梅園菓子処は太宰府天満宮参道に昭和23年に創業致しました。写真向かって右手の『泉屋』と書かれている建物が梅園菓子処が入っている建物となります。この写真に写っている3階以上の部分は取り外しており、現在は2階建てとなっております。

 

福岡市に復員して焼け野原となった福岡の街を観て、創業者の藤丸正は「人の心が明るくなるような菓子を作ろう」と菓子作りを始めたと聞いております。

 

遠の朝廷の古都太宰府にて三代に渡って家業を続けさせていただいておりますのも、常日頃からご贔屓いただいております皆様のお陰様であると深く感謝を申し上げます。

 

 

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梅園菓子処の歴史

菓子作りが大好きだった創業者

創業者 戦前から菓子作りが大好きだった創業者藤丸正は東京で製菓等の修行を積んでおりました。戦地から無事に故郷福岡に復員後、焼け野原となった福岡の街を目の前にして、藤丸正は「人の心が明るくなる菓子を作ろう」と思いました。

 

そのために「どこにもないものを作ろう」と昼夜を問わず菓子作りに没頭し文字通り寝食を忘れるほどであったと聞いております。そうした探求と研鑽の中で生まれたのが、宝満山や梅守などの和菓子の数々です。藤丸正が作り上げた菓子は、当時の味そのままに今に受け継がれております。そして、「どこにもないものを作ろう」という創業者の意思は、宝満山干菓子「よろつよ」や四季折々の菓子など新しい菓子作りにも活かされております。

 

 

茶人松永耳庵翁との出会い

ある時、藤丸正が西鉄太宰府線の二日市駅のホームで電車を待っていたところ、ある初老の男性と親しく話をする機会がありました。その男性こそが、電力の鬼といわれた松永安左エ門(松永耳庵翁)氏でした。早速に、宝満山を差し上げたところ、松永耳庵翁から「宝満の山より高き上味、誠に申し分なし」とのお褒めの言葉を手紙にて頂戴しました。

 

以来、耳庵翁の「筑紫の茶事も是により一層」のお言葉通りに、大小茶会に梅園菓子処の菓子を遣っていただくようになりました。その時に頂戴した直筆の手紙は太宰府参道にある店舗内に大切に展示させていただいております。このウェブサイト左上に書かれている『梅園』の文字も耳庵翁の手による直筆となります。実物は店舗入って正面奥に掲げさせていただいておりますので、御来店の際にはどなた様でもご覧いただくことができます。松永耳庵翁がお取り寄せになった宝満山はこちらのページに詳細を記載しています。

 

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泉屋白水楼だった建物に移転

当初は現在の西鉄太宰府駅構内(プラットフォーム増設に伴い移転)、次いで太宰府駅すぐ近くに店を構えていましたが、次第に手狭になったことから、現在の店舗の場所へ移転しました。天満宮参道に面したこの場所は大町旅館街の一画で、江戸末期に建てられた『泉屋白水楼』という旅籠でした。

 

この大町旅館街は泉屋以外にも、西郷南洲翁とゆかりの深い薩摩藩定宿の松屋、長州藩定宿の大野屋、江戸幕府定宿の日田屋があり、どれも往時のまま現存しています。

 

泉屋は土佐藩の定宿でしたから土佐藩士の中岡慎太郎の日記に「対人(対馬)四及び筑人薩人等と泉屋にて出会・此夜、筑薩肥後酒を此別れに飲む」(慶應元年3月9日)や「白水楼に別酌す」(慶應3年2月27日)などの名前が出てきます。中岡慎太郎と筑前勤皇党の福岡藩士や薩摩藩士がこの建物で酒を酌み交わしていたことがわかります。

 

坂本龍馬は慶応元年5月23日に太宰府に到着していますので、史料には直接書かれてはいませんが、土佐藩定宿であった泉屋白水楼に宿泊している可能性があります。現在、上層部分は取り壊して2階建てとなっていますが、建物そのものは当時のまま現在に至ります。

 

また、安政五(1858)年10月19日に長崎海軍伝習所時代の勝海舟(勝麟太郎)が泉屋に立ち寄り昼食(一汁二菜)をとったことが分かっています。この時、長崎海軍伝習所の教官であったオランダ人技師カッテンディーケも同行しており、カッテンディーケにはアヒルと鶏が供されたようです。

 

東京にもない大看板

history 梅園菓子処といえば誰もが見上げる大看板でも有名です。太宰府在住の書家である古賀井卿(こがせいきょう)氏の書を看板にしたもので、こちらも創業者と古賀井卿氏が「東京にもない大看板を作ろうや」と意気投合して作り上げたものです。総高213cm、総張468cm、総厚13cmという巨大な木造看板です。平成23年に一度大改修を行っています。

 

また、古賀井卿氏と創業者はよほど気心が通い合っていたようで、この他にも井卿氏の手による作品がいろいろと店内に展示されておりますのでご来店の際にはぜひご覧ください。

 

古賀井卿氏の真筆は他にも太宰府天満宮本殿前のご神木『飛梅』の案内札、宝物殿前の万葉歌碑などでも見ることができます。

 

菓子の名前

梅園菓子処の菓銘はどれも太宰府の地名にちなんだものばかりです。こうした商品のネーミングは、創業者の妻であった藤丸タマノが行ったものです。

 

ある時、宝満山の麓にある竈門神社に参拝した藤丸タマノが帰宅したところ、藤丸正が卵を使った甘い菓子を完成させていたそうです。藤丸正とタマノはこのことに不思議なご縁を感じて、この菓子に『宝満山(ほうまんざん)』という名前を付けたと聞いております。

俳人でもあった藤丸タマノは、新しい商品が完成するたびに創意工夫を凝らして販売に力を尽くしました。

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こうして創業以来、太宰府はもちろん全国各地のみなさまに可愛がっていただき、今年で75年の節目の年を無事に迎えることが出来ました。和菓子の店としてはまだまだ年若ではありますが、松永耳庵翁、松本清張氏、川端康成氏、大佛次郎氏などの文人茶人をはじめ、吉田茂氏などの政治家にも目を掛けていただきましたことは望外の喜びでした。中でも宮中賢所献上や皇室の方々へのご献上の栄を賜ったことは身に余る光栄であると身の引き締まる思いです。

大切にしてきたこと、これからも

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食の安全安心こそが一番大事

梅園菓子処では、創業当時から出来るだけ機械を使用せずに、職人の手仕事によって、ひとつひとつお菓子を作ることを心がけて参りました。

 

一部の商品を除き、加工品を使用せずに、原材料の下準備から商品完成まですべて一貫して自社工場で行っています。

 

すべての商品において、保存料や防腐剤を一切使用しておりません。そのため日持ちは少々短めですが、どなた様にも安心して召し上がっていただくことができます。

 

素材を活かして製造しているので、どの商品も美味しく出来上がっていますが、その土台こそが食の安全です。

 

お客様が口に運んで召し上がるものだからこそ、安全安心な菓子を作ることが菓子店として一番大事なことであると思っています。梅園菓子処で作るすべての菓子にその信念が練りこまれています。

大切にしていること

1)安心して召し上がっていただける美味しくて安全な和菓子をお届けします。そのため加工品、保存料は一切使用いたしません。添加物については必要最低限のみの使用に制限しています。

 

2)創業当時からの商品については、当時の味を維持するように努めています。月日が積み重なったとしても変わらない味を守ることも大切なことであると考えています。

 

3)新しいお客様にも喜んでいただけるような商品のご提供、また創業者の意思を反映した新商品の開発にも積極的に取り組んでいます。

 

4)移ろいゆく季節の変化を楽しむ商品をご提供することも和菓子を拵える会社として大事なことであると考えています。

 

5)太宰府天満宮参拝のお土産としてどなた様にも喜んでいただけるような最良なお土産物をご提供できるよう研鑽を積んでいます。

 

6)DXの時代だからこそ、実店舗にご来店いただいたお客様とは人と人とのリアルな関わりの楽しさもご提供したいと思っています。

 

7)Web3.0の世界で和菓子をどのように成長発展させていくことが出来るかを常に考えています。

 

8)梅園菓子処で働いてくださる社員・パート・アルバイトの方々はもちろんお取引先様や関係業者様等と良好な関係を維持していくことも良い菓子作りの大切な要因のひとつであると考えています。

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箱や包装紙

梅園菓子処の箱や包装紙には、創業者の藤丸タマノの創意工夫が凝らされています。

 

現在は簡易包装かつシンプルなデザインが好まれる時代ですので、弊社でも何度かパッケージや包装紙を変えてみようかという話が持ち上がりました。

 

しかし、多くのお客様や弊社従業員からのリクエストもあり、創業当時のデザインや包装紙を使い続けています。

 

古い着物の柄を写し取ったものや太宰府十二景という絵画から写し取ったものなど様々です。古き良き昭和の香りをそのまま写し取ったデザインもお楽しみいただけましたら幸いです。

看板商品の宝満山の箱に描かれた図案は源氏車。これは毎年9月に太宰府天満宮で行われる神幸式の牛車を意匠化したものです。

 

根強い人気を頂いている飛梅のように、皇室へご献上の栄を賜った菓子については「天皇皇后両陛下献上」の栞をつけさせて頂いています。

 

梅園菓子処では、お菓子ごとに箱の形やデザインも異なります。生産性向上の観点からすべての商品の箱やデザインを統一しようという試みたことが何度もありました。

 

しかし、多くのお客様からのお声掛け、また弊社で働いてくれているスタッフ達からも「変えない方が良い」という声をいただきました。創業以来変わらぬ箱、包装紙、デザインで今日に至ります。

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