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ブログ - 太宰府 梅園菓子処 - 太宰府天満宮御用達の和菓子

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辛丑 あけましておめでとうございます

カテゴリ: お店からのお知らせ 作成日:2021年01月01日(金)

 新年明けましておめでとうございます。本年も梅園菓子処をどうぞよろしくお願い申し上げます。お正月は元旦から少々みぞれ混じりの天気となっていますが、参道ではどのお店も元気に営業を行っています。昨年は新型コロナウイルス感染症の影響でどなた様も甚大な影響を受けられたと思います。今年は景気も気分もぜひ上向いて欲しいと切に願っております。

 

 辛(かのと)とは金の弟(陰)、丑は土の陰ということで、その意味するところ土が金を産むという年ですから何かが花開く年となるのかもしれません。こういう時には縁起を担ぐのが古来の日本人の知恵。ぜひ、お近くの神社やお寺さんにお参りになられまして縁起物をお買い求めください。がっつり縁起を担いでさらなる開運を目指していきましょう。

 

 本年がみなさまにとって実り多き年でありますよう願っております。年始は休まず営業をしておりますが、1月8日のみお休みをいただきます。みなさまのご来店を心よりお待ちしております。

福岡県北部で三社詣りするならここですばい

カテゴリ: 太宰府を逍遥すなるもいとをかし 作成日:2020年12月30日(水)

 令和2年も残りわずかということで令和3年を新しくお迎えするため太宰府天満宮を含めて三社詣りや神社巡りなどいかがでしょうか。といってもそれぞれのお宮は正月の大渋滞は間違いなし。とても1日では無理かも知れませんので、一応五社をご紹介しておきます。魂ふるえるところにお参りください。

 

太宰府天満宮 太宰府市 Dazaifu Tenman Gu

 福岡市から南に下ったところにあるのが太宰府市。その名前の由来になったのが太宰府天満宮ですね。押しも押されもせぬ全国天満宮の総本社でして学問の神様である菅原道真公が祀られています。ご本殿の奥へと進めば自然に明鏡止水となるこの土地、おそらくは太古の昔からなんらかの信仰の対象地ではなかったのかと邪推しております。

 

福岡平野(福岡市があるところ)と筑後平野(久留米市や柳川市があるところ)は背振連山で南北に分断されているのですが、この太宰府市と目と鼻の先の二日市あたりが平地となっており、ここで南北に繋がっているのです。つまり、この太宰府周辺は政治的にも軍事的にも要衝だったことは間違いありません。ちなみに、正月三ヶ日、車はあまりおすすめできません。どうしても車でお越しの際は朝駆けをお勧めいたします。

 

筥崎宮 福岡市東区 Hakozaki Gu

 元寇襲来で一躍名をはせた筥崎宮。亀山上皇の敵国降伏の扁額が堂々とかかる山門に魂ふるえる由緒ある神社です。戦の神様である八幡様を主神としているだけに勝負事の祈願にも滅法強い神社となります。

 

公式レコードでは「延喜21年(921年)6月21日に八幡神の託宣があり、応神天皇・神功皇后・玉依姫命を祭神とした」とされていますが、いやいやもっと古いでしょうとまたもや邪推。玉依姫命なら海幸彦さんや山幸彦さんと同世代なので縄文末期くらいまでいってしまうのではと個人的には妄想しています。ここからほど近い志賀島の志賀海神社には鹿の角がたくさん祀ってあるのですが、縄文期には鹿の角は釣り針のテッパン。志賀海神社が龍神様と関係が深いのも首肯できるところ。あくまでも個人の妄想ですので、公式には延喜21年です…。

 

香椎宮 福岡市東区 Kashii Gu

 公式レコードでは仲哀天皇九年(200)ということなので弥生時代中期でしょうか。古くは橿日宮と記されてまして「かしひ」と呼んでいたのでしょうね。弥生中期となるとこれはもう神話の時代という感じです。

 

しかし、同じ頃、大陸では黄巾党の乱が起こっていますのでこれから三国鼎立へと向かって歴史が進む頃合いです。つまり、魏呉蜀が天下の覇権を巡り争った三国志の時代となります。魏の皇帝であった曹叡(曹操の孫)から邪馬臺国の女王・卑弥呼に対して与えられたのが親魏倭王の称号。これが西暦238年ということですからちょうど香椎宮が出来て38年後、いや待てよ。この頃は神功皇后では……。卑弥呼どこいった?? ともあれ、古いお宮ということは間違いありません。

 

宮地嶽神社 福津市 Miyajidake Jinja

 嵐の光の道で一躍全国区となったこちらも古い神社です。ご祭神は神功皇后…、ひ、ひ、卑弥呼どこいった……。それはさておき、こちらの神社には日本一の大きさを誇る横穴式石室が残る巨石古墳があることでも有名です。6世紀末頃の古墳といいますから、甕棺墓の頃とは隔世の感があります。その石室からはお宝がざくざくと出てきまして、そのうち20点が国宝指定。

 

公式サイトには『御創建以来1600有余年を経て、本殿の御遷座80年の節目に、宮地嶽神社は、北部九州王朝の聖地として栄えたこの地にふさわしい…』と記載されており、この地が古来から大変重要な場所であったことを示しています。ちなみに、本殿のうしろには奥宮八社がありまして不動明王、龍神様、地蔵菩薩などをお祀りしています。神社と仏教のハイブリッドという珍しい形ですが、これは本地垂迹といって昔から日本人にとっては馴染みのある形。神社と仏教が分離されたのは明治以降となるのです。古い信仰の形がどこか新鮮な奥宮八社もおすすめです。

 

宗像大社 宗像市 Munakata Taisha

 こちらもかなり古く由緒ある神社となります。ご祭神は宗像三女神といいまして、天照大御神様と須佐之男命の誓約(うけい)で誕生なさっているところからしても、その始原は相当に古くもはや日本神話レベル。ですからどうなのでしょうか…弥生初期とかまで遡るのかも知れませんね。

 

加えてこの宗像大社のすごいのは海の正倉院と称される沖ノ島を擁すること。古代の信仰の在り方をそのまま残した沖ノ島には今でも神職の方が交代で当直をなさっているのだとか。宗像大社の横にある神宝館も圧巻で国宝がごろごろ。なんと8万点の国宝がこの神宝館に収蔵されているのです。宗像大社と宮地嶽神社、比較的に近いのでアクセスしやいかと思います。本殿裏手からちょっとした小山を登っていった先にある高宮祭場も古き時代の神代を感じさせてくれます。ぜひ立ち寄ってみてください。

 

以上、福岡県北部の由緒正しき神社のごく一部をご紹介してみました。みなさまの神社参拝ラリーや三社詣りなどの参考になさってください。この他にもよい神社仏閣がたくさんあるのですが、それはまたの機会に。それから、上記の解説は特に断りのない限り、あくまでも筆者の個人的主観ですので、その辺りも含めてゆるく楽しんでいただければと思います。太宰府天満宮ご参拝の折には、どうぞお帰りに梅園菓子処へもお立ち寄りください。お正月には限定の商品なども揃えております。みなさまのお越しをお待ちしております。

 

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五月の新緑美しい頃の太宰府天満宮楼門 

 

 参考ウェブサイト

 太宰府天満宮公式サイト

 筥崎宮公式サイト

 香椎宮公式サイト

 宮地嶽神社公式サイト

 宗像大社公式サイト

 

花びら餅もご用意してます

カテゴリ: 菓子のことのは 作成日:2020年12月28日(月)

 花びら餅といえばお正月のお菓子ですが、もともとは宮中での習慣が公家や武家を通じて庶民にも広がっていったとされています。この詳しい説明はネットにたくさん掲載されておりますが、一番詳しく書かれていると思われるURLを下記にご紹介しておきますので、ぜひご覧ください。

 

 何事も本家や元祖というものがありますが、花びら餅と粽はやはり室町時代から宮中に出入りされている川端道喜さんということになるでしょうか。より正しくは御菱葩(おんひしはなびら)といい、今では裏千家お家元の初釜でしか食べられないものだとか。これと同じものが試餅(こころみのもち)というものだそうで、毎年年末に販売されているようです。当然、予約でしか手に入らない逸品です。

 

 とはいえ、良き習慣もまた人里に流れていき広まっていくものです。宮中での雅な習慣は私たち庶民の間にも広まっていくのです。しかし、誰もが宮中の御菱葩を食べられるわけではないので、少しずつモディファイドして変化していったのが、花びら餅ということになるのでしょうね。

 

 花びら餅には牛蒡が入っていますが、陰陽でいうと陽となります。かぼちゃは中庸からやや陽よりでしたから、さらに少し陽に振れた感じですね。わざわざ牛蒡を餅に挟むという点を考えると、やはり少しずつ陽の気を取り入れていこうとする意図を感じます。初春とはいえまだまだ寒い新春ですから、体を温める作用のある牛蒡などを入れたのかも知れませんね。

 

 梅園菓子処でも花びら餅を正月用にご用意しております。こちらは基本的には店頭販売のみとはなりますが、太宰府天満宮参拝の折にはぜひご来店ください。ただ、職人の手作りのため数が作れません。そのため完売している場合もございますのでご容赦ください。それではご来店、心よりお待ちしております。

 

 花びら餅

 iPad12proで撮影しましたが室内なりにきれいに発色してますね

 

 梅の花びらを模ったお餅で新年を寿ぐ ―御菱葩(川端道喜)[京の和菓子探訪 #8]

 

維新の策動地としての太宰府

カテゴリ: 太宰府を逍遥すなるもいとをかし 作成日:2020年12月25日(金)

 今日は加藤司書傳という復刻本から太宰府に関するところを口語訳してご紹介してみたいと思います。文語調独特の言い回しや難解な語句が並びますので、敢えて意訳しているところもあります。雰囲気を楽しむ感じでお読みいただければと思います。

 

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 三条公は居室においても常に竹馬に乗って稽古に励んでいました。五卿の中でも、四条公は特に馬術に長けていらして、颯爽たる御姿で太宰府の町々を練っていました。その後、四条卿は陸軍少将となって大阪師団長を務めたことからも、その馬術がいかに秀でていたかが分かるというものです。

 

 当時、勤皇の志士はことごとく五卿の下に集まってきました。それらの志士が宿とした場所は、勤皇の志の篤い松屋孫兵衛の屋敷であって、土佐の奇傑と称された坂本龍馬もやってきました。同じく土佐藩の中岡慎太郎もやってきて、2年11ヶ月の五卿太宰府滞在中、この地にあって五卿に接して五卿のために東奔西走して勤皇のために尽くしました。

 

 日本海軍の代表者である坂本龍馬、陸軍の代表者たる中岡慎太郎、五卿を中心に影が形に添うようにしっかりとつき従っていた土方楠左衛門久元伯爵も2年11ヶ月の間、五卿に随身して加藤司書公と常に連携を取り、加藤司書公が切腹の際には五卿の助命使として早馬をもって天福寺に駆け付けました。しかしながら、時すでに遅く自刃の後ということでたくさんの恨みを飲み込んだのでした。

 

 西郷吉之助も折々松屋にやってきて、加藤司書公の策動による薩長連合のため、長州藩代表の高杉晋作や加藤司書と頻繁に会合をしていました。僧月照は西郷と一緒に太宰府に来た時、松屋に泊まって

 言の葉の花をあるじに旅寝する

  この松陰に千代も忘るな

 という和歌を宿の主人の松屋孫兵衛に与えました。王政復古の悲願がまだまだ成就できぬことを悟って、西郷とともに薩摩の錦江湾に身を投げたわけですが、高齢だった月照は錦江湾の波間に消え去り、命が助かったのは西郷だけだったという事件はこの歌を詠んだ直後のことです。

 

 <中略>

 

 こうして加藤司書の尽力によって五卿は太宰府を拠点として、各地の勤皇の志士たちは各方面から太宰府に集まってきて、王政維新の一大震源地となってこの地は大変に栄えたのです。そこで幕府は大目付の小林惇六郎を福岡藩に派遣して太宰府の五卿奪還を試みました。

 小林は30人ほどの屈強な幕臣を連れて福岡表へやってきました。これを知った福岡藩の佐幕派たちは待ちかねたように膝を打ってやはりまだまだ幕府の力が衰えてはいないと大喜びでした。これを機会に幕府に味方している公卿の親書を藩主の黒田長溥公にお示しして、一気に勤皇党を潰してしまおうと考えました。

 

 加藤司書は家老職を辞して閉門となり、幕府大目付小林惇六郎は福岡藩の勤皇党に対して圧力を加えて、さらに二日市に転進してここを拠点として五卿の奪還を計画しました。小林は「私の力で五卿のみなさまを復官させましょう」と甘言を弄して五卿をおびき出し、その途中で五卿を殺害しようと企てたのです。

 

 五卿を守る薩摩、久留米、佐賀、福岡、熊本の五藩の藩兵たちではありましたが、中には佐幕派もあれば勤皇派もありという感じでバラバラの寄せ集めでした。その中でも福岡藩は加藤司書が家老職を辞した結果、勤皇派が力を失って佐幕派が力を盛り返していた状態でした。

 土佐藩の藩兵は本願寺に陣取って、その他の藩の兵たちも「五卿は渡すわけにはいかぬ」と幕府側と対峙する状況となったのでした。

 五卿は大目付の小林惇六郎が来藩したことでこれは危ないと気づきましたが、ここからどこかに逃げることや、江戸表に送られることなどは潔くないとして、あくまでもこの場に留まって忠節に殉じて太宰府の土となるまでと決心を固められました。このようにして大目付小林惇六郎が虎視眈々と機会を伺う中、太宰府に詰めかけた勤皇派はみな奮起して幕府側と対峙したのでした。

 

 <中略>

 

 小林惇六郎は幕臣30名を率いて太宰府天満宮参拝を理由として太宰府において示威行進を行いました。この報告を受けた加藤司書は早速に五卿を護衛しようと思い立ちますが、家老職を解かれ閉門蟄居の身の上なので為す術がない状態でした。

 

 薩摩藩の大山格之介はただちに36名の砲兵と大砲3門を率いて太宰府に前進し「たとえ幕府の大目付が来られようとも五卿に指一本触れさせぬ」と空砲を二日市の小林の陣営に向けて撃ち放ち威嚇射撃を行いました。その後、大山はひとりで小林を訪ね「三条公以下五卿の太宰府滞在は将軍様の命令によって尾張総督が決定なされたことです。将軍様の命令なく小林殿が勝手に大目付の分限で五卿の身を移そうとするのは不埒な行為と断じざるを得ません。あるいは、これがたとえ将軍様の命令であっても薩摩藩として断じて五卿を引き渡すわけには参りません。五卿はすでに太宰府の土となろうと固く決意をなさっておられます。もし力づくで奪還せんとお考えであればどうぞなさってください。私たちには三門の大砲がありますので、命令一下、一撃の下に打ち破ってご覧にいれましょう」と談判を試みました。

 

 これにはさすがの大目付小林も辟易として「では、三条公以下五卿にご挨拶のみさせていただこう」となり、小林は延寿王院の正門から入ろうとしましたが許されず裏門から屋敷へと入り、五卿と面談をなされました。この際も五卿の傍では勤皇派の志士らが取り囲み、何かあれば一刀のもとに斬り捨てようと刀の鯉口を切って身構えている状態でした。そのため、小林はとうとう為す術もなく引きさがって延寿王院をあとにしたのでした。

 

 このようにして太宰府は加藤司書の思惑通りに五卿を中心とした勤皇王政復古の一大震源地となり、黒田嘉右衛門や田中光顕伯爵など京都と太宰府の間を往復しては五卿の精神を京都に伝え、勤皇派の志士たちと連携をとり、五卿らは太宰府に留まること2年11ヶ月の長きにわたったのでした。

 

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 まだまだ記述はあるのですが、あまりに長いので今日のところはこの辺りで。また機会をみてご紹介させていただこうと思います。

 

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延寿王院の門

冬至ゆえにかぼちゃ薯蕷饅頭

カテゴリ: 菓子のことのは 作成日:2020年12月22日(火)

 昨日はちょっとお歳暮の発送や給与計算などで多忙を極めてしまいまして更新できませんでした。本当は冬至だったので記事を更新したかったのですが。季節を大事にと言っておきながら大変お恥ずかしいことです。

 

 さて、昨日は冬至でしたがみなさまはどのように過ごされましたか。冬至の説明は割愛させていただくとして、大事なポイントは陰極まって陽に転じるということでしょうか。易経では地雷復(ちらいふく)という卦なのだそうで、陰(地)が重なった底の部分に陽(雷)が生まれた状態を表しています。とはいえ、まだまだ陽の力は弱いのでオラオラ系でいくと足元を掬われますよという感じでしょうか。

 

 冬至にかぼちゃを食べるという習慣も江戸時代からの習慣のようですね。少なくとも恵方巻のように新しい習慣ではなさそうです。ネットにはいろいろな情報があるようなので、その辺りは割愛させていただき、ちょっと違った視点から探ってみましょう。

 

 唐などの習慣ではなんでも陰陽に分類するわけですが、実はかぼちゃは中庸からやや陽寄りとされています。同じ仲間として玉ねぎや葛なども中庸からやや陽寄りです。この中庸からやや陽寄りというのがポイントではないかと思います。

 

 陰極バリバリの時に陽極バリバリの食べ物を食べると振れ幅が大きいですね。そこでやや中庸から陽寄りのものを選んで、やっと生まれた陽に少しだけ力を与える。実のところ、こんな配意があるのではないかと個人的には感じています。

 

 少しずつ陽に戻していくことで全体の調和を取りながら成長していくわけですから理にかなっています。もちろん、これはあくまでも個人的な意見ですから正解でもなんでもありません。参考程度にお聞き流しください。

 

 そいうわけで、昨日の冬至の日には梅園菓子処でもかぼちゃ薯蕷饅頭を作って店頭で販売いたしました。おかげ様であっという間の売切れということでありがとうございました。今年はもう作らないのかな。まだちょっと作るかどうかわかりませんが、いずれにしてもLINE公式アカウントやInstagramなどで告知致しますので、ぜひフォローかましておいていただければ幸いです。

 

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かぼちゃ薯蕷饅頭の美しさといったらもう 

 

 食べ物の陰陽表(こちらを参考にしました)

 

 

この冬…といわず毎年おすすめしたいお茶がこれ

カテゴリ: 菓子のことのは 作成日:2020年12月19日(土)

 和菓子とお茶は切っても切れない関係です。もちろん、濃茶や薄茶を点てていただく瞬間も特別なものですが、普段はなかなかお茶を点てる機会もありません。かくいう私も自宅で薄茶すら点てる時間がありません。

 

 しかし、煎茶はちょいちょい飲みます。寒い時期の楽しみのひとつが煎茶ですね。普段は銀座催事でのご縁からうおがし銘茶さんのにゅうを飲んでいるのですが、これがとても美味しいです。お茶の旨さを教えてくれたのがこのうおがし銘茶さんです。もちろん、全国各地にいろいろな茶どころがありますし、その土地土地の茶の旨さがあって楽しみも尽きないところです。おいしいお茶をぜひ教えてください。

 

 さて、そんな中、個人的に「つあっ!」という煎茶がありますので、ご紹介をしておきます。星野製茶園さんの白姫というお茶があるのですが、これが玉露の間違いではないかというほどのうま味を感じるのです。れっきとした煎茶なのにも関わらず。

 

 この白姫は突然変異で誕生した幻の白い葉の茶葉でして、湯を注ぐ前は普通の茶葉に見えるのですが、湯を注ぐと次第にほんのり白く変化していくのです。湯温は普通のお茶と異なり少しだけ低めの60度から70度が良いようです。

 

 普段はうおがし銘茶さんのキリっとしたお茶を飲んでいますが、ちょっとした特別な時間にこの白姫を神妙に淹れて飲むのです。その天然のうま味とほんのりとした甘い香りが五感をごりごりとくすぐってくれるのです。

 

 そういうわけで、懇意にしている三十三茶屋さんに「入荷したら速攻教えてください」と頼んでおき、まとめ買いしている有様なのです。とはいえ、どうしてもこの旨さをどなたかと共有したくて、すぐに人にあげてしまうのですが。

 

 今年の冬は大変寒いともいいますので、ぜひお好みの煎茶を見つけてあったかくスペシャルな時間をお楽しみください。その際、梅園菓子処の宝満山なども一緒に召し上がっていただけましたら幸いです。

 

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幻のホワイトリーフ 白姫

 

 うおがし銘茶ECショップ(にゅうがおすすめ)

 三十三茶屋facebookページ

 温かいお茶と一緒に宝満山もおすすめ

 

維新胎動地のひとつでもあった太宰府

カテゴリ: 太宰府を逍遥すなるもいとをかし 作成日:2020年12月12日(土)

 太宰府と言えば太宰府天満宮ということで全国的に大変有名な観光地ですが、実は、明治維新の胎動著しい場所であったことはあまり知られていません。八月十八日の政変により尊王攘夷派の公家方が京都を追放になった事件がありました。

 

 三条実美(さんじょう さねとみ)、四条隆謌(しじょう たかうた)、三条西季知(さんじょうにし すえとも)、壬生基修(みぶ もとおさ)、東久世通禧(ひがしくぜ みちとみ)、錦小路頼徳(にしきこうじ よりのり)、澤宣嘉(さわ のぶよし)の七卿で、世に七卿落ちといわれているものです。そのうち錦小路頼徳が亡くなり、澤宣嘉は生野で平野国臣とともに兵を挙げましたので、五卿と呼ばれるようになります。

 

 この五卿は尊王攘夷派のシンボルでもありましたので、長州藩にそのまま留めおくのは危険と幕府が判断し、他藩に身柄をお移しすることとなりました。当初は五卿をばらばらに五藩に分けて管理しようとしたのですが、福岡藩中老で勤皇派の領袖であった加藤司書の働きにより、福岡藩で五卿全員をお預かりすることとなり、慶応元年の正月に太宰府の延寿王院に五卿がお入りになられたわけです。

 

 それから、筑前、筑後、薩摩、肥前、肥後の五藩の藩兵が五卿を衛ることとなったのですが、尊王攘夷派のシンボルである五卿が太宰府にいらっしゃるとなれば、多くの尊攘派の志士が当然ながら面会にやってきます。薩摩の西郷吉之助、土佐の坂本龍馬中岡慎太郎、長州の高杉晋作などが太宰府にやってきて五卿と面会したり、志士仲間で話し合い等をしていたようです。もちろん、福岡藩の中老であった加藤司書も何度も延寿王院に足を運び五卿を見舞っています。

 

 現在、梅園菓子処が入っている木造建築物は当時和泉屋白水楼(いずみやはくすいろう)と呼ばれる旅籠でした。この周辺(大町)には太宰府天満宮に参拝する旅客のための旅籠が集まっていたわけですが、和泉屋白水楼もそのひとつでした。そして、集まってくる志士たちも藩ごとに異なる旅籠を利用していたようで、和泉屋白水楼はおもに土佐藩、大野屋は長州藩、松屋は薩摩藩というように分かれていたようです。

 

 土佐脱藩の土方楠左衛門(土方久元はメモ魔だったようで、詳細な日記を書き残していますが、土方の日記にはこの和泉屋白水楼が頻繁に登場します。下記は土方の手記をスクリーンショットしたものです。原本は国立国会図書館デジタルコレクションの回天実記第2集22コマに収録されています。赤枠で囲んだ部分の1行目の井上は井上聞多、伊藤は伊藤俊輔のことを指します。赤枠5行目に大町泉屋とありますが、これが梅園菓子処が入っている建物となります。赤枠の内容としては、井上と伊藤が長崎に行きたいが長州藩士の名義では途中の通行が難しいので薩摩藩士の名義を貸してくれないかと相談に来たというものです。相談の後で泉屋で酒を飲んだという内容となります。

 

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 薩長の歴史は何度も大河ドラマになっていますので詳細を省くとしまして、ここでは福岡藩の勤皇の動きを軽くご紹介しておきます。福岡藩の勤皇派の特色としては加藤司書や黒田播磨のような藩の重役が積極的に勤皇運動を行っていたことにあります。勤皇の志の厚い建部武彦(たけべ たけひこ)や衣非茂記(えび しげき)らを重臣として登用して藩論を動かしていきました。福岡藩第11代藩主の黒田長溥(くろだ ながひろ)公も蘭癖大名と呼ばれるほどオランダから学問や技術を導入していたのですが、尊王攘夷の過激な動きには同調しかねる想いがあったともいわれています。

 

 筑前勤皇党の活動が進み藩論が尊王攘夷へと急速に進むにつれて、黒田長溥公と加藤司書らは次第に折り合いが悪くなってきました。実際、勤皇派の中級下級藩士の中には過激な言動を行う者も出始め、加藤司書らは「過激な行動は慎むように」と何度か注意をしていたようです。しかし、とうとう犬鳴御別館事件をきっかけとして、藩主黒田長溥公は福岡藩内の尊王攘夷派の弾圧に踏み切ります。このまま過激な尊王攘夷に突き進めば、藩が潰されてしまう恐れがあると感じたのかも知れません。慶応元年(1865)乙丑の年の出来事なので、これを乙丑の獄(いっちゅうのごく)と呼びます。

 

 加藤司書と大組の斉藤五六郎が天福寺で切腹。建部武彦と衣非茂記が安国寺で切腹。尾崎惣左衛門、万代十兵衛、森安平の三名は正香寺で切腹。その2日前の23日には、桝木屋の牢獄で月形洗蔵、梅津幸一、鷹取養巴、森勤作、江上栄之進、伊藤清兵衛、安田喜八郎、今中祐十郎、今中作兵衛、中村哲蔵、瀬口三兵衛、佐座謙三郎、大神壱岐、伊丹信一郎、筑紫衛等、あわせて15人が斬首されました。この乙丑の獄で、福岡藩は、維新後に明治新政府へ送り込む人材を一気に失ってしまうこととなりました。

 

 さて、和泉屋白水楼でいつも酒宴を張っていた土佐脱藩の土方楠左衛門の耳にも加藤司書らに切腹の沙汰が下されたことが知らされます。三条実美は加藤司書とも親しくその才を惜しまれて、土方をして早馬を走らせ司書の助命に向かわせます。太宰府から天福寺(博多区冷泉)まで土方が馬を駆って夜道を走っていきます。やっとのことで天福寺門前に着到し、「三条実美様から加藤司書殿の助命の願いでござる。その切腹待たれよ」と門内に声を掛けましたが、門内からは「すでにご立派にお腹を召されました」との返答。加藤司書公は見事にご生害を遂げられたのでした。

 

 毎年10月25日にはこの加藤司書公を偲ぶ法要が博多区の節信院にて行われています。乙丑の獄の関係者のご子孫、福岡藩士のご子孫などが一同に参集しまして、亡き加藤司書公や乙丑の獄で散華された藩士たちの御霊に手を合わせています。

 

 このように太宰府は維新回天の原動力のひとつともなった場所で、当時の建物がそのまま残っておりますので、幕末好きな方にもぜひお勧めしたいところです。弊店では当時の床板や手すりなどをそのままご覧いただけるよう改装しています。また、薩摩藩の定宿であった松屋さんでは維新の庵として喫茶をやっていらっしゃいます(ただ、コロナ禍のため現在はお休みしているようです)。ここには西郷隆盛直筆の書状などが伝わっています。もちろん、当時の建物のまま残っています。松屋さんの向かいには日田屋があり、こちらも外側は当時のまま残っています。ぜひ、幕末の名所めぐりのひとつとして足をお運びください。

 

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平成27年節信院にて行われた法要で撮影 ※終わった後は直会です

 

判じてみる

カテゴリ: 仕事まわりのこと 作成日:2020年12月08日(火)

 昨日まで福岡三越菓遊庵様にて年内最後の催事でした。期間中にお越しいただいたお客様、まことにありがとうございました。催事は事前準備や毎日の発送など、かなりのエネルギーを消費致します。月並みな表現ですが、だからこそお客様のお声掛けや笑顔が本当に励みとなります。

 

 常に催事場に立つ社長はお客様のお顔とお名前を覚えております。そして、今日はこんなことがあったとスタッフにLINEでシェアをしています。昼にあった出来事を、昼過ぎには後方支援のスタッフや休みのスタッフも知っているというデジタル上等な会社でございます。

 

 さて、それはそうと面白い話を漏れ聞きました。うちで出している干菓子の中に家の形をしたかわいらしいものがあるのです。私なんかが見ますと「昔風の家」としか感じないわけですが、あるお客様のお子さんがこう呟いたそうです。「これ、炭治郎の家」と。言われてみれば確かに竈門炭治郎や竈門禰豆子が住んでいた家にそっくりです。やはり、子供たちの視点はとてもユニークです。見たまま、あるがままに表現するその姿勢に感銘を受けました。

 

 そういえば、今年の3月頃のことでしたか。緊急事態宣言が出される直前のことです。本来なら2月に売ってしまうべき節分の鬼の干菓子が大量に余ってしまったことがありました。季節ものですから2月に売れなければもう売ることができません。さて、どうするかと思い悩みながらHuluで鬼滅の刃を通しで視聴していました。そこで閃いてしまったのです。鬼が使えるじゃんと。

 

 そこで、在庫として持っていた鬼、蝶、水の渦巻き、藤の花、瓢箪を集めてセットで販売することにしました。とはいえ、鬼滅の刃セットなんて名前は付けられません。お茶菓子として使われるものだからこそ、判じてみるのも楽しいだろうということで竈門神社の春にかけて『竈門の春』として販売したのです。おかげ様で大量の鬼はきれいにはけてしまいました。

 

 普通にこのセットを見ていても分からないかと思いますが、察しのよいお客様は「あ、これはひょっとして!」とお気づきでした。こういう判じ物を通してなされるお客様とのやりとりも楽しいものですね。また機会があればこうしたものを作ってみたいと思っています。

 

天神でお会いしましょう

カテゴリ: お店からのお知らせ 作成日:2020年12月01日(火)

 今朝起きたらぐっとした冷え込み。月曜日くらいから一気に冷え込んできたように思います。とはいえ、北海道からご来店のお客様は「まあ寒いですね」とおっしゃいますし、仙台からご来店のお客様も「全然まだいけます」と薄着でのご来店でした。やはりそういうものなのでしょうね。

 

 さて、本日12月1日(火曜日)から来週12月7日(月曜日)まで、福岡市は天神にある福岡三越地下2階菓遊庵様にて年内最後の催事出店となっています。思い返しますと、今年2月の銀座三越様の催事はまだコロナの影響も軽微で銀座も多くの人で賑わっていました。4月に松屋銀座様で初催事を企画していたのですが、ちょうどその日から緊急事態宣言で松屋銀座様も完全閉店。催事が一本完全に吹っ飛んだことを覚えています。

 

 さらに太宰府本店の方も4月から臨時休業。太宰府天満宮参道を歩く人も皆無という状態で「これは大変なことだ」と実感いたしました。緊急事態宣言が解除され、少しずつ人が戻って来てくださいましたがそれでも前と同じようにはいきません。その中でも、6月の銀座三越様、8月の仙台三越様、10月に日本橋三越様とお邪魔をさせていただき、全国各地のお得意様やお客様と親しくお話をさせていただきました。本当にありがとうございました。また、大変な中で催事のサポートをしてくださった三越各店のスタッフのみなさま、銀座松屋のスタッフのみなさまにも心よりの御礼を申し上げます。まことにありがとうございました。

 

 今年の締めくくり、福岡三越菓遊庵様での催事となります。定番の商品はもちろん、ラムレーズン宝満山や柚子薯蕷饅頭 などもご用意しております。本店では今季終了した生姜宝満山も特別にお持ち致します。大きな土鈴入の縁起箱も数量限定でお持ちしますので、ぜひご来店くださいませ。

令和2年(2020年)取り寄せ和菓子売上ランキング

カテゴリ: 菓子のことのは 作成日:2020年11月28日(土)

 梅園菓子処のオンラインショッピング(ECサイト)ではいろいろなお取り寄せができますが、初めてのご利用のお客様は「何を買ったら良いか」と迷う方もいらっしゃるかと思います。そこで、過去の受注データから梅園菓子処ECサイト売れ筋ランキングをご用意してみました。ご参考になれば幸いです。

 

 売れ筋ランキング1位

 うその餅

やはり過去のご注文の中でも断トツ1位がうその餅でした。これはある程度は予想はしていましたが、実際にデータを洗ってみるとここまで圧倒的だったかと私たちがびっくりするほど。求肥餅を青しそ風味のそぼろでまぶした菓子で、中には太宰府天満宮のご神鳥である「うそ」の人形が必ず1体入っています。通常は博多人形の土うそ、正月のみ木彫りの木うそが入ります。

 

また、毎月25日は天神様の日でもありますので、この日には紅梅色(俗にピンク)のうその餅を販売しています。備考欄に『天神様の日うその餅』を書き添えていただければ、25日の製造分を発送することもできます。入数は15個となっていますので、おひとりでは食べきれないという方もいらっしゃるかもしれませんが、お客様からは「うちは冷凍して食べてます」とのお声もいただいています。求肥餅は解凍してすぐに柔らかくなるのでこの方法で召し上がれば解決です。

 

うその餅

 

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 売れ筋ランキング2位

 宝満山

2位にランクインしたのは宝満山1棹、宝満山半箱でした。こちらもある程度予想していた結果です。宝満山は卵を使った菓子でその重層的で深みのある甘さが特徴です。単なる甘味ではなくて、甘さが重なり合っているような味覚。

 

こちらは冷凍しても固く凍りませんから、まずは冷凍庫に保管しておいて食べたい時に食べたいサイズにカットしていただければOKです。より詳しくはこちらの宝満山について書かれたブログ記事を下記リンクからぜひお読みください。サイズにお悩みでしたらまずは半箱をご購入いただき、お気に召していただければ1棹を購入いただければ良きかと。

 

宝満山

 

 宝満山なる菓子のこと(ブログ記事)

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 売れ筋ランキング3位

 宝満山半箱+大徳寺納豆入宝満山半箱

詰合せのこちらの商品がランクイン。宝満山も食べたいし、大徳寺納豆入宝満山も食べたいというニーズに合った詰合せです。かつ、半箱(1棹の半分)サイズなので違った味がそれぞれ気軽に楽しめるということで人気なのでしょう。

 

大徳寺納豆というのは、いわゆるみなさまが想像する納豆ではなくて、寺納豆といわれるもの。梅園菓子処で使っている大徳寺納豆は、あの一休禅師から秘伝を伝えられ、それを代々と受け継いできた名店で謹製されたものを使用しています。一休禅師秘伝の味を宝満山と掛け合わせたものがこの大徳寺納豆入宝満山です。そんな室町時代に想いを馳せつつ召し上がっていただけましたら幸いです。こちらは大徳寺納豆入宝満山の写真です。

 

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 宝満山半箱セット(大徳寺納豆入宝満山半棹1箱+宝満山半棹1箱)をお買い上げの方はこちら

 

 売れ筋ランキング4位

 よろつよシリーズ

よろつよには10枚入平箱、10枚入り縦箱、20枚入り縦箱の3種類があります。そして、この3種類が同数でしたのでまとめて4位にランクイン。こちらは宝満山を特殊な方法で乾燥させた菓子で、外はさっくりと中は比較的にふんわりとした食感が特徴の菓子です。梅園菓子処の菓子の中では比較的に新しい菓子ですが、どなたが召し上がってもおいしいと感じていただける菓子を意識してお作りしているので、ランクインしたのかも知れません。迷ったら買っておいて間違いない菓子として店頭でもおすすめをしています。

 

平箱はお持たせ等のちょっとした贈答にちょうど良いサイズ、縦箱はコンパクトな大きななのでご自分用にお買い上げになる方がよくお選びになるようです。このよろつよの秘話などもブログにアップしていますので、ぜひリンク先もご覧ください。

 

yorotsuyo

 

 

 とある名もなき菓子によろつよなる名がつきたる話(ブログ記事)

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 売れ筋ランキング5位

 ラムレーズン宝満山

新しい商品からランクインしたのでこちらのラムレーズン宝満山。こちらのラムレーズンはレーズンをラム酒に漬けこむところから職人が手作業で行っています。市販のものを使ってみても良いのではないかと提案はしているのですが、「ラムレーズン宝満山の命はラムレーズンですばい」と首を縦に振りません。その分、確かに美味しいものが出来上がってきます。そのせいか、このラムレーズン宝満山、店頭でもよく売れています。あまり売れるとコストがっとこちらが心配になるほど。こちらも開発秘話をブログで書いていますのでぜひお読みください。名付けて葛藤のラムレーズン宝満山です。ラムレーズンがお好きな方は間違いなく大好きな商品ですのでぜひお試しください。

 

ラムレーズン宝満山

 

 葛藤のラムレーズン宝満山の行方(ブログ記事)

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上記ランクインの商品が圧倒的でしたのであまり目立たない感じとなりましたが、この他にも…

 

 詰合せ(宝満山1棹、東風梅6個、梅守4個)

 詰合せ(うその餅1個、東風梅3個、ミニ梅守3個)

 詰合せ(梅守4個、宝満山1個、うその餅1個、東風梅4個、まつば2本入3袋)

 

このような詰合せもよく出ていました。これらの詰合せはご贈答などではご使用されたようで、内のしや外のしなどをかけてのご注文が多いようです。梅園菓子処では大小問わず冠婚葬祭の御用にもよくお遣いいただいておりますので、安心してご用命ください。数が多い場合にはお電話でのご注文も受け付けております。お気軽にお電話ください。

 

 以上、令和2年ECサイト売上ランキングでした。梅園菓子処のECサイトからのご注文、スタッフ一同、心よりお待ちしております。

 

 

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