太宰府 梅園菓子処 - 太宰府天満宮御用達の和菓子

       

コラム

宝満山なる菓子のこと

カテゴリ: 作成日:2020/11/21

宝満山という名の菓子が誕生した話は断片的な形で伝えられています。創業者である藤丸正が苦心の末に菓子を作り上げた時、妻の藤丸タマノがたまたま竈門神社への参拝を終えて帰宅したことから、この菓子を宝満山(宝満山やその昔竈門山とも呼ばれていました)と名付けたというエピソードがひとつ。

 

あるいは、宝満山の淡々漠々たる山容になぞられえて宝満山という菓銘をつけたというエピソードがひとつ。いくつかの断片的なエピソードが伝えられていますが、梅園菓子処を代表する創業以来の銘菓であることは間違いありません。

 

さて、近代三茶人といえば、益田鈍翁、原三渓、松永耳庵のお三方。中でも、宝満山とゆかりの深い方が松永耳庵翁です。ある時、創業者の藤丸正が西鉄太宰府線の二日市駅のホームで、ある初老の男性と親しく話をする機会があったそうです。その男性こそが、電力の鬼といわれた松永安左エ門(松永耳庵翁)氏でした。どうやら当時は二日市に九電関係の寮があったのでそこへ所用があって二日市に立ち寄られていたのではないかと聞いています。

 

早速に宝満山を差し上げたところ、松永耳庵翁から「宝満の山より高き上味、誠に申し分なし」とのお褒めの言葉を手紙にて頂戴しました。以来、耳庵翁の「筑紫の茶事も是により一層」のお言葉通りに、大小茶会に梅園菓子処の菓子を遣っていただくようになりました。その時に頂戴した直筆の手紙は太宰府参道にある店舗内に大切に展示させていただいていますのでご来店の際にはどなたでもご覧になれます。

 

このご縁によりまして、小田原の耳庵翁ゆかりの方々とご縁を頂戴するようになりました。数年前には念願であった耳庵追善茶会にお邪魔させていただきました。耳庵翁が晩年をお過ごしになった老欅荘(ろうきょそう)での茶会は、どことなく生前の翁の人柄を偲ばせるような感じで実に楽しい茶会でした。また、例年のこの茶会にお供えいただいている菓子も宝満山ということで、宝満山が繋いでくれるご縁の深さと広さをいつも感じています。

 

宝満山は卵と砂糖を用いた菓子で他に同じものがないのでなんとも形容の難しい菓子です。創業以来、淡雪でもなく外郎でもなくと説明してきましたが、お客様からは和製プリンのようだという声も頂戴しています。ある時、この宝満山を知人の家で食べた時のこと。レロー ピノー・デ・シャラント15年がたっぷりとかけられた宝満山を出されたので食べてみたのですが、これが悶絶するほどのうまさでした。リンクを貼っておきますので、ぜひお試しください。

 

今ではこの宝満山から3つのラインナップが誕生しています。京都紫野の大徳寺門前で謹製された大徳寺納豆入りの大徳寺納豆入宝満山、ラムレーズンカットに全集中する職人が作り出すラムレーズン宝満山、隠れたファンがごっそり買っていく生姜宝満山。それぞれに特徴があり、個性が際立つのも、創業以来のプレーンな宝満山がしっかりと下支えしているからこそ。

 

初めて召し上がると「あまっ!」と感じられるかも知れません。しかし、どうぞ舌の上でその甘さを探ってみてください。単純な甘さではないことに気づかれることでしょう。重層的な甘さというか構造的な甘さというか、何か複数の要素が絶妙に混ざり合った上に成り立つ甘さ。これがプレーンな宝満山の底力です。多くの文化人や茶人を唸らせてきた宝満山をぜひ召し上がっていただければ幸いです。もちろん、濃茶の主菓子としてお遣いいただければ茶事や茶会もぐっと引き締まることでしょう。

 

銘菓宝満山

濃茶にも負けない風格があります

 

宝満山の不思議

やわらかいだけでなくしっかりとした弾力もあります

 

宝満山をお求めの方はこちらから

 

小田原三茶人の茶室

レロー ピノー・デ・シャラント 15年

 

                       

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