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コラム

太宰府の坂本龍馬と中岡慎太郎

カテゴリ: 作成日:2021/08/26

太宰府といえば、遠の朝廷や天神様が大変有名なのですが、実は幕末の太宰府も熱いという話はこのブログで何度か記事にさせていただきました。先日、日本経済大学の竹川克幸教授とお話をさせていただいた折に資料をいただきました。竹川先生の許可をいただきましたので、一部抜粋したものをご紹介したいと思います。

 

坂本龍馬について

 坂本龍馬は、慶応元年(1865)年五月、薩摩からの密命を帯びて、薩長和解の国事周旋のため太宰府を訪れている。「坂本龍馬手帳摘要」(宮司佐一郎『龍馬の手紙』講談社)によれば、「(五月)廿三日宰府ニ至ル。渋谷彦助ニ会ス。廿四日伝(転カ)法ニ謁ス。小田村(素太郎)ニ会ス。廿七日又謁ス。廿八日宰府を発ス」とある。太宰府では、五卿の警衛や周旋・応援のため太宰府に滞在していた薩摩藩士・渋谷彦助や長州藩士の小田村素太郎(楫取素彦)、三条実美ら五卿に面会している。その後、龍馬は、長崎街道筑前六宿を駆け抜けて薩長和解の会合のため長州・下関へ向かう。(「幕末太宰府と志士の国事周旋の旅」竹川克幸氏執筆記事より抜粋)

坂本龍馬・中岡慎太郎両氏の周旋による薩摩藩西郷隆盛と長州藩桂小五郎の会談は下関で行われる予定でした。その予定日は慶応元年5月21日。しかし、西郷は会談の約束を反故にして海路下関を素通りして上洛してしまいました。ということで、日付が少々前後しているようですが、この辺りはまた調査して詳らかにしていきたいと思います。

 

中岡慎太郎について

 中岡慎太郎の日記『海西雑記・行行筆記』(尾崎卓爾『中岡慎太郎先生』収録)には、(元治二年)三月九日晴、天好風日、此日対人四人及筑人薩人等と泉屋にて出会」や「(慶応三年二月)廿七日、晴、辰下比より大山(格之介)、吉田(清右衛門)及び肥(肥後)藩古閑富次、(清岡)公張と白水楼(泉屋)に別酌す」など、志士との会合で泉屋をよく利用している。(「幕末太宰府と志士の国事周旋の旅」竹川克幸氏執筆記事より抜粋)

この泉屋というのが、弊店が入っている建物を指します。「楼」という文字が入っていることから、当時はおそらく今よりも大きな建物であったろうと思いますが、明治大正昭和の中でかつての木造4階建てが2階建てとなっています。令和2年の店舗リニューアルの際、建物の骨組みなどを見ることができましたが、4階建てを2階建てにした際、柱などをリユースした跡が見つかっています。これは現在の店舗吹き抜け部分でどなたでもご覧いただくことができます。なお、その際、古い障子や障子紙、戸に描かれた絵(着物を着た女性)も出てきました。

 

長くなりましたので本日はこの辺りで。

 

 

戸に描かれた絵

2階の店舗と事務室の間から発見された板に描かれた女性の絵

 

                       

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